ヌーノ・別天地構想

考えすぎてしまうやつが書く。音楽、ゲーム、生活論。

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『苦労しないと幸せになれない』と考えてしまう病

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自分で言うのもあれなんですけど、

僕って結構、努力してるし、若いのに苦労してると思うんですよ。

苦労する癖がついてしまっているというか、

そういう環境で育ったといいますか。

苦労した先に幸せが訪れる

と自分が潜在的に思い込んでしまっている。

 

努力して、成功したときはまあ嬉しいですけど、

それでも、素直に「幸せ」だなって思うときはあんまりないし、

幸せというよりは、一瞬の喜びみたいなものはたまにあるんですけど。

 

大学ってところには、親に生活費を仕送りしてもらって、

一人暮らしして、あんまりバイトもしないで、

勉強もそこそこできなくて、何もしなくても彼女もいる、

みたいな人がいるんですよ。

 

そういう人達が「幸せ」かどうかは知りませんけど、

かなり羨ましいんです。正直、激しく嫉妬してしまう。

でもどうしても「運」とか「環境」がいいとか、

そういう言葉で片付けてしまいたくない。

 

だから、そういう人達にも「苦労」を強要したくなってしまう。

もっと「苦労」したほうがいいと、「苦労」を押し付けたくなる。

「あいつは全然勉強してない」とか、

「もっとちゃんとしたほうがいい」とかそんな言葉で、

苦労してない人たちを否定したくなってしまう。

幸せそうな人を傷つけたくなってしまう。

自分がみっともないこともはっきりとわかっている。

要するに、自分が苦労しているのに幸せじゃないことが辛いんです。

だから、他人にも自分の立場を理解してほしいと思ってしまう。

 

固定観念で足元とられているのは、自分の方だって

わかりきっているのに、そういう考え方をやめられないんです。

 

どうやったらこの考え方をやめられるか。

やっぱり他人と比較しないことが、一番だとは思います。

頭ではわかっていても、実際に行動に移すことは難しい。

でも、この世で生きているだけで、

社会生活をしているだけで、

他人と比較しないでは生きていられないじゃないですか。

そんなことができるのは賢者だけ。

 

逆に考えてみたら、大学という場所は

自分の身の程を知るいい場所だってことですかね。

そして、諦めるということを知る初めての場所でもある。

諦めて、その先に幸せを見出せるか。

他人の基準ではない、自分だけの幸せを見つけるべきである。

自分の身の程を知ることができたなら、

自分が抱えられるだけの幸せを抱えればいいのだ。