ヌーノ・別天地構想

考えすぎてしまう大学生が書く。音楽、ゲーム、生活論。

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親友とは何か

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皆さんに親友と呼べる存在はいるだろうか。

 

かの松本人志曰く(偉人みたいになっているが、)、親友とは数十年ぶりくらいに会ったとしても、お互いのことを馬鹿にしあえる仲らしい。

 

本当になんでも話せるような友達が、今現在いるならば大切にした方がいい。

 

親友というのは難しいもので、いつも学校で一緒にいるからという理由で、親友と定義するのも違う気がする。

学校では、ひとりでいることは本当に辛く苦しい時間。

だからこそ、できる限り独りにならないように、話すことが少なかったとしても、

一緒にいることだってある。

 

だけれども、親友というものはいつも一緒にいるだけでなれるような存在ではないと思う。

親友とは、お互いのことを理解していて、共感できる部分を持った存在だと思う。

 

自分は大学で親友と呼べる人に出会った。

その人とは大学の時に在籍していた軽音楽サークルで知り合った。

世間のイメージで言えば大学で軽音楽サークルというと、どこか浮ついたイメージがあるだろう。

自分とその人は同じように大学から楽器を初めて、軽音サークルに所属した典型的な大学デビュー人間だった。

その親友ははかなり不器用な人で最初は、そんなに楽器が上手いような人ではなかった。

しかし、その親友には絶対に楽器を上手になってやるという野心があった。

熱心に練習をして、ライブの後でも自分のギターはどうだ、他の人のギターはああだといって、議論しながら成長して、どんどんライブに参加していた。

そしていつしか僕たちは、切磋琢磨して、お互いを高めあって成長し、サークル内でもかなりギターが上手い存在になっていた。

 

僕がいつも惹かれてしまう存在は、情熱をもって取り組んでいる人である。

何かひとつのものに全力で取り組んで、情熱をもった存在。

勝ち負けではないが、スポーツや楽器の面白い要素は、試合やライブなどを通じて他人の情熱を感じ取ることができることにあるのだろう。

スポーツは懸命になっている姿を見ることができるから、価値がある。

ひたむきさと情熱。それがスポーツの場面では求められていると思う。

 

自分の親友とは楽器の上達という面に情熱があって、その点で共感することができたから親友になれた。共感することができたというよりは、お互いに認めているという言い方の方が近いのだろうか。

 

人によって共感できるポイントはそれぞれ違うだろうが、そういった共感できる面を持った人物を親友と呼ぶことができるのではないだろうか。